日本経済新聞の人間発見に連載されました ~4~
町工場、ロボットに挑む ④
不良出にくい金型 資金難克服し開発
プリント基板の加工会社で17年働いた後、1993年に独立した。バブル崩壊直後の不況下で、どうすれば生き残れるか必死に考えた。
プリント基板加工に20年ほどかかわって不思議に感じることがありました。プレス機で加工するとバリと呼ばれる切断面の出っ張りやほこりが生じ、不良品とされました。
ルーターと呼ばれるドリルのような工具で切削すればきれいに仕上がりますが、効率が良くありません。短時間で大量にこなすにはプレス機での加工しかなく、一定の不良発生は仕方ないと考えられていました。
「しゃーないっちゅうのは、誰もが諦めてるだけなんちゃうんか?」。そんな問題意識から、バリやほこりが出ない金型を作ろうと考えました。金型職人からスタートした経験をもとに、98年に新しい金型のアイデアがひらめきました。
問題は、そのアイデアで本当にバリやほこりが生まれないのか確かめられないことだった。金型の完成には、さらに5~6年を要した。
一般的にプリント基板加工をするための金型は取引先から支給されます。自力でテスト用の金型を作るには10万円が必要です。会社の経営は厳しいままで、受注につながるかわからない金型に10万円を投じる余裕はありませんでした。
かわりに、製品の生産終了で取引先から預かったままの古い金型を引っ張り出しました。刃先の加工やプレス機の動かし方を工夫して、アイデアを温めました。
そのころ、イモビライザーと呼ばれる自動車の盗難防止用システムが広がり始めていました。プリント基板加工の受注が伸びて資金に余裕が生まれたため、2004年に腕のいい職人のいる会社に新しい金型を作ってもらいました。それでプリント基板を加工したらバリやほこりが出ず、うまくいきました。
新しい金型は「SAF金型」と名付けました。外販したいと前のめりになるところですが、小さな町工場がいきなり営業に訪れても門前払いされるのが確実です。そのため脈のありそうな自動車部品メーカーに資料を送り、性能評価試験をクリアしました。採用が決まるまで1年ほどかかりました。
プリント基板加工に加えて、金型という新たな柱ができたことで、藤原電子工業の経営は安定した。
SAF金型を製作していた職人が、働きがいを求めて入社を希望してきました。ノウハウ流出を防ぐ狙いもあり、採用して内製化に乗り出しました。13年には市内3カ所に分かれていた工場を1カ所に集約しました。金型部門とプリント基板加工部門が一緒になると、改善提案など連携が強まり、生産効率も上がりました。SAF金型のおかげでプリント基板加工の受注も伸びました。
ただグローバル化を背景に取引先の海外進出は続く可能性があります。本業が好調なうちに、もう1つ事業の柱を育てる必要があります。そこからロボット事業の構想が始まりました。